16 小鳥たちには 悲しい歴史の小鳥山 [福島市]

管理番号1912 森山・小鳥山

 福島県教育委員会の遺跡データベースで検索すると、当地には森山遺跡 があります。それをたよりに訪ねました。

 山際の野地さん(お婆ちゃん)にお聞きしました。
①この山の地名は、森山です。 ②以前、私の家では小鳥料理を出して商売をしていたので地元の人たちは小鳥山と呼んでいます。とのことでした。

 ※小鳥たちにとっては、悲しい歴史の、小鳥山でした。

◎追記
その後、平田小学校百年のあゆみ 昭和47年11月2日発行の40ページに、「平田小唄」の紹介があり、その八番の歌詞のなかに「小鳥山」の記述のあることがわかりました。以下の通りです。

秋の日和に森山訪えば 小鳥群れ立ち我さえ忘る さあさ小鳥の歌ごえたずね ともに眺めん小鳥山

 ※歌詞に「小鳥山」の名が残り、小鳥たちには供養になったのかもしれません。

◎追記の2
三春町民図書館で閲覧した、三春文化財婦人学級編 民話集 によりますと、「小鳥の哀話」として、詳細な小鳥山の様子の記述がありました。

 大正から昭和にかけて、三春の小鳥山といえば全国的に有名で、季節になると遠くは東京、大阪からも小鳥を食べにやって来たそうです。したがって小鳥を捕る人も多勢おり、今では禁止されておりますが囮を使い、霞網でカシラ、アオジ、ホホジロをどを最盛期(十一月三日頃)には一人で一日に七八百羽から千五六百羽も捕え、高台や芹ケ沢の小鳥山に運んたそうです、。
 当時鳥屋場は沼の倉山、清水、松橋、一本松など七八ケ所あつて、各自の山で.渡りを待っておりました。
 霞網は主として松山に竹の棒を立て、ウネを作って巾六尺、長さ四間程の網(これを一反と言う)二十反から三十反張り、松の木のそちこちに、おとりの鳥かごをつるし、夜が明けて小鳥の群が渡るのを待ちます。猟期は十月十五日から四月十五日迄ですから、雪が降れば雪を掃いて網を張るわけです。
 朝六時半頃、頭上の空をチャツ・チャツと、啼きながら渡るのに向って地上のおとりがよぴかけ、おとりの声につられて舞いおりた小鳥は、木の葉が飛んで来る様に網の中に入ります。網は中程に二・三本の力糸があり、たぐませて張ってありますから袋の様になり、真直ぐ林に飛び込んだ鳥が枝にとまろうと横にそれたはずみで網の目に首をかけます。ぴっくりしているところをつかまえて腹がけの袋に入れ一ケ所によせておさまえて居るとぢきおとなしくなったそうです。
 次々渡りのある時は十分か二十分の間にかかった鳥を集め次のを待つわけですが、沢山かかると腹真白になって気持よさそうに下って居たと言う事です。
 小鳥は羽根毛をむしり、二羽ずつ串にさして十串で一パとし(昭和十年頃)一円二十銭、一羽六銭位で料理屋におろしました。
 おとりは各自十羽から二・三十羽位、玄米や糠を食べさせて飼っていましたが、戦争で米が配給になり皆やめてしまいでした。
 渡りの途中で獲り食べてしまうのですから、かわいそうではありますが、農薬など使って小鳥の姿もあまり見れなくなった今では、夢のような話です。

(2012年6月)