35 山が島になり 島が山になる・・・自然と人間の壮大な営み [相馬市・北塩原村・新地町]

管理番号3178 文字島山・文字島[相馬市]
管理番号3225 丸森山・月島[北塩原村]
管理番号3268 糠塚山・糠塚島[北塩原村]
管理番号3912 (消失)師山・師山丘山[新地町]

その①文字島山・文字島[相馬市]
2011年(H23)3月11日14時46分の大地震と、おしよせた津波で、東北地方の太平洋沿岸は甚大な被害をうけました。日本百景の一つでもある松川浦に浮かぶ小さな文字島も津波に襲われましたが、かろうじて島は残ったようです。
この文字島は「奥相志」宇多郷岩子村の記述の中に、「文字島山圃 塩釜白山両祠あり」・「塩釜神社 文字島山にあり」などと書かれており、山であったようです。かぞえきれない打ち寄せる波が今見る小さな島にしてしまったのでしょうか・・・・・。

※奥相志 ⇒ 「奥相志」は奥の相馬に関する記録という意。藩命により安政4年(1857)から相馬藩士斎藤完隆が編纂に携わり明治4年(1871)完成。相馬地方の村々の記録を179巻にまとめたもの(福島県立図書館の解説より)。

その②丸森山・月島[北塩原村]
1888年(M21)7月15日07時45分頃、461人もの命を飲み込んだ磐梯山の爆発は、流れ出した泥流で桧原湖をはじめ多くの湖沼群をつくりだしました。今、この湖沼には島々が点在し、日本でも有数の美しい景観をつくりだし、四時多くの観光客でにぎわっています。
「地質要報 明治23年 第1号の「磐梯山噴火調査報告書」の「付図」によりますと、桧原湖に浮かぶ多くの島々の中で、ただ一つ「丸森山」の記載があり、それ以外は無名の島?になっています。桧原湖が誕生する以前は、もしかすると、この山は地元の人びとの生活と密接なつながりのあった山ではないかとも想像されます。それが磐梯山の爆発により川がせきとめられ、周りに水がおしよせ、短期間に島が誕生したようです。
なお、現在地元では湖に浮かぶ島々に名前をつけており、丸森山は「月島」と呼ぶそうです。

※「丸森山」(845mの標高点のある島)の調査には、多くの方々にお聞きしましたがなかなか判明しませんでしたが、北塩原村役場の五十嵐さんの紹介で、桧原の穴沢さんとお会いすることができ、遠藤さん、細野の小椋さん等々多くの地元の方々から話をお聞きすることができ確定できました。大変おせわになりました。

その③糠塚山・糠塚島[北塩原村]
「峠のみち」(北塩原村郷土史研究会報 第八号 平成6年3月31日発行)の36ページには昔話として、「・・・・・・・伊達が籠城の間兵糧米精白のため搗いた糠が積もって出来た山故に糠塚山と名付け磐梯山噴火に依って桧原湖の中に埋まり糠塚島と言い伝えられて居るとのことだ。」と紹介されております。現在の糠塚島も以前は糠塚山と呼ばれていたようです。

※現在桧原湖に点在する島々には、地元の人達によって付けられた島の名前がありますが、桧原湖誕生以前は山の名前がそれぞれあったようです。判る方がおりましたなら教えていただけたら幸いです。

その④(消失)師山・師山丘山[新地町]
 「駒ケ嶺村郷土誌」(明治44年6月30日)には以下の記述があります。   
 駒ケ嶺町ヨリ東ニ向ヒ三橋ヲ渡レバ鬱蒼タル松樹ニ覆ハレテ師山アリ、之レ浦中ノ一島ニシテ其高地ノ南面セル處に塩釜神社アリ境内ヨリ前面ヲ望マバ漁人群集シテ魚ヲ釣ル者網ヲ張ルモノ魚ヲ捕ヘタル者萬景一目潮水滿ツレバ華表ノ近クマデ來リ干ル時ハ潮遠ク引キテ華表ノ前数町ノ砂丘ヲツクル・・・
昔は島であったものが、干拓等が進み、山になったようです。

(2013年1月)