36 硯山 にお戻りにならなかった弁天様 [川俣町]

管理番号0931 羽山・福沢羽山・硯山

 一時的遷座の予定が、戻らなかった弁天様のお話しです。

 信達一統志(福島市教育委員会) 189・190ページ「東五十沢邨」 の項にある 「硯山」 と 「西五十沢邨」 の項にある 「麓山権現」の記述をたよりに、東五十沢集落(現東福沢)を訪問し、昭和8年生まれの菅野さん・昭和9年生まれの斎藤さん、二人の同級生にお聞きしました。

 当初 「五十沢に硯山という山は無い」 とのことでしたが、「昔日木幡山弁財天此山に鎮座なる由」 との記述についてお聞きしたところ、親から聞かされていた話として 「当村では羽山山頂の北側に、弁財天様を祭ってあったが、となり村で昔疫病が流行ったおり、十年の約束で弁天様を貸した。しかし、以後戻らなかったと聞いている」 「弁天様のあった所は、堂屋敷と云う地名であり、鳥居の跡なのか穴もあった」 「川の南を流れる川は、硯川と云う」 とのことでした。

 一時お移り頂いた弁天様が五十沢にお戻りにならなかったのは、よほど新しい場所の鎮座心地?が良かったのか、あまりにも霊験あらたかな弁天様なので、氏子中がお戻りにならないように強くお願いしたからなのか・・・。何れにしても諸般の状況を考えあわせると、地形図上の羽山は硯山と考えられます。
※なお、五十沢=イサザワ と云うそうです。

信達一統志 「硯山」 の記述・・・
山上に硯の海の如く窪き所あり 故に硯山と云う 昔日木幡山弁財天此山に鎮座なる由 今に礎の如き物遺れり 又華表の蹟なりとて政所内と云える地の前なる田の傍らに印の榎あり 今の代に堂の平 堂屋敷 香田 祭田など云える字あり これ皆弁財天の旧鎮座に因るの謂なり

信達一統志 「麓山権現」 の記述・・・
硯山と云うに鎮座あり 此神は前の条にも所々に見ゆれども何を祭れるか定かならず

◎信達一統志⇒福島大学附属図書館所蔵本(著者自筆本)を底本とした活字本。著者は鎌田の人志田正徳。農作業に従事するかたわら村々を調査し、信夫郡を天保12年(1841)、伊達郡を嘉永6年(1853)にまとめている。信夫郡は全村が記述されているが、伊達郡は暮子坊荘と小手荘のみ残されている(福島県立図書館)

※同様の記述は、小手風土記(川俣町教育委員会 78ページ)にもあるようです。

◎小手風土記 「硯山」 の記述・・・
 硯山 往古木幡山瓣財天の舊地ハ此山の嶺に有りしとなり 古の宮の礎今ニ有 堂の平堂屋敷杯名のミ残り 義家朝臣の乗馬落ちたる処なりとて今に草木不生 山の曽祢ニ窪き處有 瓣天の鳥居の跡とて政所内の前成田に印の榎あり 故に香田祭り田の字あるも此謂也とかや

(2013年9月)