37 オリンピック山 と 三浦弥平さん [伊達市]

管理番号3479 オリンピック山

 1964年に開かれた東京オリンピックから半世紀が過ぎました。私は、当時社会に出て間もなくの頃で研修で寮に入っており、食堂のテレビで毎夜、体操・バレーボール・重量挙げ・マラソン等で日本選手の活躍と、世界の一流選手のすばらしい演技に感動した記憶があります。

 さて、梁川町史(現伊達市)第10巻の915ページには以下の記述があります。
 ・・・白根村が生んだ日本オリンピック選手三浦弥平は明治二十四年(一八九一)四月字木ノ田の大きな農家に生まれ、白根尋常小学校・梁川小学校高等科・旧制白石中学校・早稲田大学政治学科卒業。早稲田大学時代は競走部へ籍をおき、多くの競技大会へ出場し優勝。日本代表として第七回オリンピック、アントワープ大会のマラソン選手に選ばれた。福島県では初めてであった。
 ・・・三浦選手は二四位。四年後の第八回パリ―大会へも出場した。
 ・・・昭和四年(一九二九)地元の若人の協力を得て、宮城県との境にあるブナ山に青少年の体力づくりと健全育成ををめざして、オリンピック山を建設した。ここにはバンガロー・テニスコート・スキー場・運動広場・人工池など作り、若者たちの体力づくりや交流の場となったが戦況拡大とともに閉山した。・・・

 又、郷土やながわ 第2号(昭和61年4月20日発行)の29ページにも以下の記述があります.
 オリンピック山
 白根の武名山(標高六〇〇メートル)山頂付近に昭和四年、三浦弥平氏が私財を投じてスキー場、バンガロー、卓球場、運動場、テニスコートなどを建設した。地元青少年たちの交流と体力づくりの場として多くの人に利用されたが、第二次大戦開戦などによって閉鎖された。彼は言わば現代の社会教育の先駆者であり、当地域に五十年前にすでに浸透していたのである。

 残念なことに、戦争のため、オリンピック山の施設は閉鎖されてしまったようです。もし、このオリンピック山の運営が継続発展していたなら、福島県のスポーツの発展はすばらしものがあったかもしれません。スポーツが戦争に押しつぶされてしまいました。
 しかし、三浦弥平さんの思いの一端は「三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース大会」として現在に引き継がれています。
 
 奇しくも、三浦弥平さんが出場した1920年ベルギー・アントワープ大会から、2020年東京オリンピック大会は100年目の大会です。福島県出身選手の活躍を期待したいものです。
 ※ 私の住んでいる町内は、箱根駅伝競技で活躍し、2013年第6回東アジア競技大会5千メートルで優勝した、星創太君の出身町内です。活躍が期待されます。

(2013年10月)