38 高い山への「三角点」の設置 〔檜枝岐村〕

管理番号0839 駒ケ岳・会津駒ケ岳・駒嶽・女山・▲岩駒ケ岳

 明治新政府は、当時、日本全体の姿を理解する地図としては、その約半世紀前の1821年に、伊能忠敬らによりつくられた、「伊能図」(大日本沿海輿地全図)や、18世紀の後半につくられた長久保赤水の、「日本輿地路程全図」であったと考えられます。そこで、統治の基盤となる、日本全国を網羅した正確な地図づくりを計画し、当初は外国人の力を借りながら、政府内部の混乱もありましたが、その作業にとりかかりましたが、それは、先の見えない遠大な作業の始まりでした。

 山岡光治著 「地図をつくった男たち」 によりますと、当時、5万分の1地形図の一日あたりの作業面積は、親指の先程といわれ、5平方センチほどであったそうです。その作業は大正13年(1924)まで30年を費やして、ようやく地形図は完成しました。

 なかでも、新田次郎の「劒岳 点の記」にもあるように、測量の基礎となる「三角点」の高所への設置は大変困難を伴った作業でした。標石は規格があり、香川県小豆島産の御影石で、100㎏、骨材を含めると200㎏にもなり、そのほか櫓材・測量機器・長期の食糧など大変な山行でした。

 しかし、このような規格があったにもかかわらず、 「大悪路にして、とうてい大荷物の運搬をなすにあたわず」 などの理由で、近場で標石を調達したところがあったようです。その規格外の一つが会津駒ケ岳に設置されている 一等三角点「岩駒ケ岳」 とのことです。

  設置当時の「岩駒ケ岳 点の記」によりますと、その設置は、明治26年(1893)年7月1日、高井鷹三氏 らの手により設置されたと書かれています。

会津駒ケ岳に登山したとき、三角点を探し出し、先人の労苦に想いをはせるのもいいかもしれません。

 ※参考
北緯 37°02′51″.3594
東経 139°21′13″.6716
等級種別 一等三角点
基準点名 岩駒ケ岳
20万分の1地勢図名 日光
5万分の1地形図名 檜枝岐
標高 2132.56m
となっています。

 ※山岡光治著 「地図をつくった男たち」は、長年お世話になっている、シンドウ歯科の 大先生 にいただきました。面白い本、先生ありがとうございました。

(2014年5月)